はちこのどたばた子育てらいふ

可愛い息子とずぼら母の育児奮闘日記

哺乳瓶拒否襲来と解決方法

私は息子を母乳とミルクの混合栄養で育てています。

ちなみに半分ぐらいミルクに頼っています。

割合で言うと母乳4:ミルク6ぐらいです、たぶん。はかったことないけど。

なので母乳が出なくなるのはさほど問題ではないのですが

ミルクを飲まなくなることは大問題です。

 

とはいえ生後3ヶ月ごろまでは順調にミルクを飲んでくれていました。

同じぐらいかちょっと先の月齢の子たちが哺乳瓶拒否してるー!というツイートを見ながら

みんな大変ね、と思っていたぐらいです。

 

それなのに生後4ヶ月に差し掛かったあるとき、急に哺乳瓶拒否が始まりました。

温めても冷やしても何しても飲みません。

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↑当時のぴよログです。

急に200ml近く飲まなくなってしまいました。

お腹が空いて大泣きしてどうしようもない時だけ飲む、という状況で

作ったミルクはほとんど捨ててました。

 

なんとかしてミルクを飲んでもらいたいと思ってあの手この手を試した結果、

最終的に哺乳瓶から飲んでもらえるようになりました。

哺乳瓶以外にもいろいろ試したので紹介します。

 

1.紙コップで飲ませる

知り合いの助産師さんに相談したら「紙コップで飲ませるといいですよ」と言われたので

下の動画を参考にやってみました。

 

確かに飲んでくれたんですが、まだコップ飲みに慣れておらず首周りが毎回ミルクでべしゃべしゃになりました。

タオルを巻いても防ぎきれないミルク...

しかもタオルはものすごくミルク臭くなる...

ということでこの方法はすぐなしになりました。

ちなみに紙コップは開けたてなら除菌しなくて大丈夫とのことでしたが

心配ならプラスチックカップを除菌して使うといいですよ、と教えてもらいました。

 

2.スプーンで飲ませる

紙コップが無理だったのでネットで検索しまくったら

スプーンで飲ませました!という記事がいくつか見つかりました。

まじか...消毒大変だな...

と思いましたが息子がミルクを飲んでくれたらと思ってスプーンを煮沸消毒して飲んでもらうことにしてみました。

 

でもこれもすごく時間がかかります。

私の場合ですが、体感10分で10mlしか飲んでくれませんでした。

離乳食の練習にはなるかも、と思って何回かやってみましたが

途方もなく時間がかかるので割とすぐやめました。

 

3.オーボールに哺乳瓶の乳首をつけて遊ばせる

 

またまたネットで検索していると、オーボールの穴に乳首を入れて遊ばせていると

いつの間にか飲むようになってました、という記事を見つけて、

ほんとかなと思いながらやってみました。

こんな感じです。

 

コツは小さい穴に入れることのようです。

普段哺乳瓶についてる乳首は嫌がるのに、

どういうわけかオーボールの方は楽しく遊んでくれて

何日かしてたら普通に飲んでくれるようになりました!

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↑いつの間にかまたミルクの量が復活しました。

 

今ではお腹いっぱいの時以外は嫌がらず飲んでくれています。

すごくホッとしてます。

あとは飲めたときにたくさん褒めるようにしてます!

それもちょっとは効果あったかなと思いたいです。

 

ということでみんなに効くか分かりませんが、オーボールに乳首、おすすめです!

 

出産までの道のり④〜無痛分娩での出産レポ〜

私は痛みにあまりにも耐えられない人間なので(笑)

妊娠がわかる前から、もし産むなら絶対無痛分娩で出産しようと決めてました。

 

私の産院は計画無痛ではなく、陣痛が来てからの無痛分娩だったので

いつ産まれるかわからずドキドキでした。

なので普通の無痛分娩レポとちょっと違うかもですが

読んでいただければ嬉しいです。

 

※出産のことを書いてあるので出血などの描写があります。

苦手な方は読まずに閉じていただけるとありがたいです。

 

あと、細かく書こうとしてたらやたら長くなりました。

お時間ある時に読んでもらえると嬉しいです。

 

突然の破水

予定日の5日前の夜、寝ようと思ってベッドでごろごろしていたら

突然何かが出た!という感触がありました。

急いでトイレに行きましたがおしるしかわからず、産院に電話しました。

 

止まればおしるし、出続けるようなら破水だと思います。

と言われてしばらく様子見。

5日前だしまだ生まれないでしょ、と余裕ぶっこいてたので

まさかの事態に震えが止まらず。

大丈夫か、無事産めるのか、そればかり考えていました。

 

しばらくしても止まる気配がなかったので破水と判断して産院に。

産院へはタクシーに乗って向かいました。

陣痛タクシーに事前に登録していたので、かなり助かりました。

あの状況でタクシー会社調べて、電話してというのはなかなか難しかったと思います。

車がなくてタクシーで行く予定の方は事前に登録しておくことをおすすめします。

 

産院に着くとすぐ内診へ。

破水だけどまだまだ産まれる気配がないとのことで一旦病室で休むことに。

このときはだいたい夜中の1時ぐらいだったと思います。

まだお腹も痛くないし一旦寝るかと思って横になりました。

 

いきなり加速する陣痛

横になっても興奮しているからか全然眠れず

気がつけば朝の4時半に。

 

陣痛は不規則な間隔から10分間隔になって、次第に間隔が短くなっていくと聞いてたのに

最初にお腹の痛みを感じた段階からなぜか5分おきに陣痛らしき腹痛がきて

おかしい、これはおかしい、そもそもまだ産まれる気配ないって聞いてたのに...!と思いながら痛みに耐えていました。

 

私はお腹ではなく腰に痛みが来るタイプだったみたいで

腰が割れる...!と本気で思いました。

ソフロロジーとか、呼吸法とか、事前にいろいろ調べてましたが

一つも役に立ちませんでした(私の場合)

とにかく腰をさすってさすって痛みに耐えるしかなかったです。

みんなこんなに痛いのを乗り越えてるんだ、すごいなと妙に感心もしました。

 

そのまま朝の6時になって、ついに耐えきれずナースコール。

NSTというお腹の張りとかを調べる?機械をつけられて

陣痛きてるから先生に内診してもらいましょう、ということに。

内診は朝の9時からということで、絶望しながら3時間を過ごしました。

本当に辛かったです。

 

子宮口9cmからの麻酔注入

内診を受けた時は子宮口6cmぐらいとのことで

もう麻酔打ちましょうか!

という先生の一言とともにLDR(出産する部屋らしい)に移動することに。

歩くのもしゃべるのもきつすぎて

何でこんな痛いんだろってずーーーっと思ってました。

あと車椅子に乗せて欲しかったです、まじで。

 

ちなみに私がお世話になった産院はほんとに対応が遅くて(笑)

麻酔打ちましょうかって言われてから1時間経ってようやく麻酔打ってもらえました。

遅すぎて先生に八つ当たりするところでした、危なかった。

無痛分娩の麻酔を入れてもらう時は、

事前に打つ場所に局所麻酔薬を打ってもらったので痛みはなかったのですが

その代わり何かに押されているかのようなぐぐぐっとした違和感がありました。

 

麻酔を打ってもらってすこししてからあんなに痛かった腰痛が綺麗さっぱりなくなり

落ち着きすぎて眠くなるぐらいでした。

何かのネットで麻酔中に寝るのはよくないと読んだ気がしていたので

(これはほんとかわかりません)

寝ないように気をつけていました。

 

夫が立ち会いのために来てくれた時には全然痛がっていなかったので余裕だと思われてたかもしれないです。

それぐらい楽になりました。

ありがとう麻酔、ありがとう無痛分娩。

ちなみに麻酔を打ってもらった時は子宮口9cmまで開いていたようでした。

もっとはやくうってほしかったとおもいました。

 

子宮口全開から3時間、ようやく産まれた我が子

ただ、麻酔のせいで陣痛が弱くなったようで、子宮口が全開してから何回もいきんでいたのですが

全く子どもが産まれる気配がありません。

頭が普通より大きいらしく、どこかで引っかかっているとのことでした。

一生懸命いきむたびになぜか右の太ももが痛くなりすぎて

麻酔、もっと麻酔をくれ、、、状態になってました。(でも足には全然効きませんでした)

 

あまり分娩に時間がかかりすぎるのも危険ということで

陣痛促進剤を使い、先生たちが私のお腹に乗ったりして一生懸命産もうと頑張りました。

でも、頭がどうしても引っかかっていて、

私も3時間頑張ってたのでこれ以上頑張るのが嫌すぎて吸引分娩をお願いし、

無事に息子が産まれました。

ほにゃあほにゃあという可愛らしい産声を想像してたのに、

実際はぎゃーぎゃーというかなり力強い声で泣いていて驚きました。

 

あとで無痛分娩じゃなかったらもっと早く産まれてたと思う、と産院のスタッフさんから何回か言われましたが

声を大にして言いたいです。

 

無痛分娩さいこー!!!

 

もちろん事故の危険性はあります。

何事もなかったからこそ言えることですが、

無痛分娩ほんと最高でした。

足は痛かったけど、大変でしたけど、かなり楽に産めたんじゃないかなと思っています。

きっと次に子どもができたとしても無痛分娩で産むと思います。

それぐらいよかったです。

 

無痛分娩を勧めるつもりはないですが、

私にとっては良かったです。

文明に感謝です。

 

出産までの道のりおわり

 

出産までの道のり③〜コロナ禍での妊婦生活で大変だったこと5選〜

コロナ禍の中での妊婦生活、ある意味ではかなり貴重な体験だったと思いますが

普通だったらできたことができなかったり

気をつけないといけないことが増えたりして正直とても大変でした。

 

その中でも私的に特にきつかったことを5個紹介したいと思います。

 

大変だったこと①旅行に行けない😭😭😭

 

私たち夫婦は二人とも、おしゃれするより断然旅行に行きたい人たちで

妊娠がわかってからは最後に夫婦二人だけでどこか行けたらいいね、と話していました。

 

そうこうしてるうちにコロナが本格化しましたが、

どうせ少ししたらおさまるんじゃないかと楽観的に考えていました。

結果的には全くおさまらず...

 

収束するどころかどんどん感染者数が増えているような状況だったので

泣く泣く旅行は諦めました。

TwitterInstagramを見ていると、割と県外とかにも普通に旅行に行ってる人もいましたが

私の性格的に行った後いろいろ考えすぎてしまいそうで

夫とも話し合ってとりあえず今年は旅行なし、ということになりました。

 

GOTO使って旅行してる人が本気で羨ましかったです。

心の中の小梅太夫が暴れてました。

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大変だったこと②母親教室、ヨガ教室、その他もろもろ全部取りやめ

 

産院のサービスに、妊婦さんが毎週500円で受けられるヨガ教室があって

かなり楽しみにしていました。

私は体がめちゃめちゃ硬いので、この機会に柔らかくしておかないと

妊娠中にやばいことになるのではないかと思っていたのです。

あとは他の妊婦さんと仲良くなっていろいろ情報交換したいなとも思ってました。

 

でも緊急事態宣言と共にヨガ教室は取りやめになりました。

案の定体もやばいことになりました(坐骨神経痛でブロック注射打ちました、本当にお尻が痛かったです)

 

余談ですが腰痛持ちの人はトコチャンベルトおすすめです。

私はこれでだいぶ楽になりました。

巻き方がわからなかったら産院で聞くといいと思います。

 

あと病院の母親教室も、住んでいる市町村の母親教室も、

アカチャンホンポミキハウスの母親教室も全部なくなりました。

これには本当に困りました。

 

はじめての妊娠出産でわからないことだらけだったうえに、

私は実家が近くにないので誰も親身になって教えてくれる人がいないのです。

せめて沐浴は事前にやっておきたかったです。

あと夫に妊婦体験してもらいたかったです。

 

母親教室に行けない代わりにYouTube見まくりました。

YouTubeほんとすごいです、最高です。

育児でわからないことは大抵YouTubeで解決する気がします。

 

ちなみにアカチャンホンポミキハウスの母親教室は、参加するとお土産がもらえると聞いていたので

そちらも行けなくて残念でした。

今見たらアカチャンホンポセミナーやってないみたいですけど

ミキハウスはされてるみたいです。

https://baby.mikihouse.co.jp/sp/ask-us/events/schedule/

ぜひ行ってお土産もらってきてください。

 

大変だったこと③通勤

 

私の会社はデスクワークなのにまさかのリモートワークなしということで

毎日、片道一時間ぐらい電車に揺られて通勤してました。

私の最寄駅はそんなに混んでいないのですが

会社に近づくにつれて激混みしていく路線なので気が気ではありませんでした。

 

妊婦だからといって特別扱いしてもらえる感じでもなかったので

毎日普通に通勤してましたが内心かなり怖かったです。

幸い私の職場ではコロナにかかる方がいなかったので

そこはよかったなと思いましたが

さすがにリモートワーク全くなしはきつかったです。

 

それが当たり前なのかなあ。

妊婦さんのための制度も整備されたりしてたけど、結局使えなかったら意味ないよねって思ったことでした。

 

大変だったこと④外食に行けない

 

①とかぶりますが...

私たち夫婦はお外でご飯を食べるのも好きなので

息子が生まれる前にたくさんご飯食べにいくぞ!と思っていただけにご飯が食べに行けないのも辛かったです。

 

どうしても最後にお肉が食べたすぎて

私の誕生日だけオープンテラスのお店で食事しました。

 

大好物のうなぎも、そもそも妊娠中ということもありましたが

全く食べられず悲しい思いをしました。

これまたGOTO使いまくってる人が羨ましかったです。

 

大変だったこと⑤孤独との闘い

 

一番辛かったのは孤独との闘いでした。

ただでさえ妊婦メンタルで落ち込みまくっているうえに

同じ境遇の人と話すこともできず

ヨガ教室とか市のイベントとかで交流できたらと思っていたんですけど

それもできずで、

 

妊婦健診も一人で行き、出産ももしかしたら一人でしないといけないかも

(結果的に出産は立ち会い可能でした。本当に恵まれていました)

という状況は心細さしかなかったです。

 

誰に頼ったらいいのか、誰かに話を聞いて欲しいけど

誰にも会うことができないというのは今まで経験したことがなく、

コロナのこともよくわからない中で怯えながら、

お腹の子どもを守れるのか、と思いながら

日々過ごしていくのは辛いものがありました。

 

早くコロナが収束して、みんな普通に生活できるようになればなと思っています。

第二子をもし授かることがあれば、必ず母親教室行こうと決めています。

 

想像してた妊婦生活とは全然違ってて、もちろん楽しいこともたくさんありましたが

コロナがなかったらなあと思うこともたくさんありました。

 

④に続く

 

出産までの道のり②〜出生前診断を受ける〜

出生前診断のことについて書いています。

もしかしたら不快な思いをされる方もいるかもしれないです。

公開するのも悩みました。

ある日突然消すかもです。

 

 

妊娠する前に夫と話していたことがあります。

それは、子どものダウン症の検査をしよう、ということです。

 

これについては賛否あるのは分かっていて

命の選別になるのではないか、堕ろすことは殺人だという意見も目にしましたし

私もその意見には賛成をしています。

 

検査を受ける前も、受けたあと結果が出るまでも、

ネットで何回も何回も出生前診断の記事や、

ダウン症のお子さんを育てている方のブログを調べて見ていました。

 

もし陽性という結果が出たとして、本当に産むことを諦めることができるのか?

何年も待ってやっと来てくれた我が子を産まないという決断ができるのか?

そのことも何回も自問しました。

 

ただ、正直に言うと、私たちには障害がある子が産まれた時に育てられる自信がありませんでした。

 

産まれてきた子がどんな子でも愛するのが親の役目であると思いながらも

一方で、できれば何の障害もない子どもであればいいなという気持ちもあり

産まれる前に障害の有無が分かるならその方がいいのではないか

という思いから出生前診断を受けることにしました。

 

出生前診断にはクアトロテスト、新型出生前診断(NIPT)、羊水検査、絨毛検査があるようです。

(参考→https://www.huhs.ac.jp/studygroup/kazoku/prenatal%20testing%20leaflet.pdf)

 

それぞれの種類の説明はここではしませんが、

私はクアトロテストを受けることにしました。

 

クアトロテストは血液検査をして、

ダウン症を含むいくつかの先天性の障害の確率がどれぐらいなのかを調べるもののようです。

 

それぞれの障害の確率が出るだけなので

確実にそうですよ、あるいはそうではありませんよ、

という結果が出るものではないのですが

 

ひとまずは確率を見てみて、

陽性であれば確定検査(羊水検査を推奨されました)を受けたらどうですか?

という医師の薦めがあったのでクアトロテストを受けることにしました。

 

クアトロテストを受けたのは15週目のことでした。

15週目には、お腹の赤ちゃんの見た目はもうずいぶん人間の子どもに近づいてきていて

私のお腹も少しずつ膨らんでいました。

 

もし陽性だったとしても、本当は産みたい、という気持ちが強くなり、

だけど育てられるのか不安、という気持ちもあり、

とにかくどうか陽性ではありませんように、と祈るような気持ちで検査を受けました。

 

結果が出たのは4週間後の妊婦健診のときで

それぞれ陰性でした。

確率も10000分の1とかばっかりで、羊水検査を受けるのはやめました。

 

本当にほっとしました。

よかった、神様ありがとう、と心から思いました。

 

あの時陽性だったとして、どういう選択をしていたか、未だに何とも言えません。

もし子どもに、障害があったら産んでなかったのかと聞かれた時、

何と答えたらいいかも分かっていません。

 

とても難しい問題だと思います。

産まれる前に分かることばかりではなく、

また、産まれた後にも何もないとは言えません。

 

あの時受けてよかったけど、そもそも受けようと思ったこと自体が

母親としてよくなかったのではないか

自分の子どもは無条件に愛するべきなのではないかと

思うこともあります。

 

とても難しい問題です。

未だに自分の中で整理をつけることはできていません。

 

③に続く

出産までの道のり①〜産婦人科での妊娠確定〜

妊娠検査薬を使った結果、もしかしたら妊娠しているかも、ということで夫と二人で仕事を休んで産婦人科に行ってきました。

 

結婚してからその時まで妊娠の気配すら感じたことがないまま長い月日が経っていたので

二人とも妊娠していなかった場合のことを考えてしまい

あまり大げさに喜べず、複雑な気持ちで病院まで行きました。

 

不妊治療で来た時は居心地が悪かった待合も、その時はあまり気になりませんでした。

状況が変わったことと、多分それどころではなかったからだと思います。

 

相変わらず順番を呼ばれるまでの時間はとても長く、その分余計に緊張していきます。

ついに内診に呼ばれた時、「妊娠検査薬が陽性だったんです」と言うと

助産師さんが「できてるといいね!」と笑顔で言ってくれて、

はい、と思いのほか大きな声で返事をしてしまいました。

 

できてなくてもショックを受けない、と自分に言い聞かせながらの診察でしたが、

超音波のモニター?で見ると黒い湾曲した半円のようなものの中に

小さな白いものが映し出されました。

 

先生はそれを見て「いますね」と一言。

そして心音を聴かせてくれて、心拍も確認できますね、と。

 

初めて息子の心音を聴いた時、涙がこぼれました。

私も妊娠できるんだ、という喜びと自分の中に命がいるんだという感動と。

 

待合で待っている夫に妊娠していたこと、心拍も確認できたことをすぐに伝えました。

二人で喜び合い、そしてこれからの生活を頑張っていかないとね、

という話をした気がします。

 

まだ週数が少ないのでもう一度検査してから母子手帳の発行手続き用の書類を渡します、

と言われてその日の診察は終わりました。

本当に嬉しくて嬉しくて、何回もお腹を触りました。

 

この小さな命を全力で守らないと、と心から思いました。

 

②に続く

妊娠までの道のり③〜30代からの妊活からの妊娠発覚〜

そうこうしているうちに20代が過ぎ去り30代になりました。

20代〜30代前半は不妊のストレスを発散するべく散々旅行を楽しみまくった私たちでしたが

(そのかわり激安家賃のお家に住んでいましたが)

 

なんとなく35歳までには一人産んでおいたほうがいいのではないかなあと思っていたこともあり、

そろそろ本格的に妊活を始めねば、ということで夫と二人で近所の大きい病院に行きました。

 

最近できたばかりなのかとても清潔感のある綺麗な病院で

たくさんの患者さんが来ていました。

 

待合には妊婦さんや子連れの方もいて

何年も子どもができない私たちには少し居心地が悪かったことを今でも覚えています。

 

私と夫の検査をして、必要に応じて治療をしましょう、という先生の元で

まずは内診からスタートしていろいろ検査をしていただき、

本格的に不妊治療を開始しようとしていた矢先のある日のことでした。

 

毎月どちらかというと何回も来ることのほうが多かった不正出血が40日以上止まっていたのです。

 

こっそりAmazonで買っていた妊娠検査薬を使うかどうするか迷って迷って迷って

期待するぐらいならさっさと違うと分かって病院に行ったほうがいい

と思い、こっそり使ってみると、

陽性反応でした!

 

あの時のどきどきとした気持ちは未だに忘れられません。

何年もできなかったのに急にできたことが信じられなくて翌日も検査しましたが、

やっぱり陽性でした。

 

これはほんとに妊娠しているかも、と思ってすぐに産婦人科に行くことにしました。

(ちなみに夫に陽性反応であることを伝えると

真顔で「子宮外妊娠でも陽性になるのかなあ」と言っていました。

地味に許していません)

 

出産までの道のり①に続く

妊娠までの道のり②〜夫との結婚〜

今の夫とは学生の時に知り合って結婚しました。

実家や親戚が家父長制ばりばりで亭主関白当たり前文化だったので

なにをするにも女性が動いて男性は酒盛り、

女性が働いていても家事は奥さんだけがやる、

というのがあまりにも嫌で

 

絶対に中立で私のことを馬鹿にしない、家事をやってくれる人がいいと思い

今の夫を選びました。

 

多嚢胞性卵巣症候群で(とは言いませんでしたが)

妊娠できないかもという話は事前にしていましたが

別にできたらできたでもいいし、できなかったら旅行にたくさんいこうと言ってくれる優しい夫です。

 

それでもやっぱり好きな人との子どもはほしい、と思って自分なりに妊活を始めましたが

なかなか思うようには子どもができませんでした。

 

ネットの知識を頼りにしながら

基礎体温を測ったり、なんだかよくわからない漢方薬を飲んだりしてみていましたが

特に手応えもなく、毎月ふっと落ち込みながら、

でもまだ若い、大丈夫、と言い聞かせて過ごしていました。

 

夫は本当に子どもができないことを気にしていなかったみたいで

それにはかなり救われました。

 

ただ、私の両親や義両親にそれとなく子供のことを聞かれてもなにも言えずとても申し訳なく(勝手に)辛い思いをしたりすることもありました。

 

③に続く